日々の御言葉

聖イエス会福音教会の牧師室から聖書のみ言葉をおおくりします。聖書は主に新改訳2017を使用しています。

日々の御言葉 12月13日

日々のみ言葉 12月13日

○今日のタイトル 解放されました

○通読箇所 ルカ13章

◇今日の聖句

エスは彼女を見ると、呼び寄せて、「女の方、あなたは病から解放されました」と言われた。

◇ひとくち解説

エスとその小さき群れは神の国の完成のためにエルサレムへの旅を続けます。その途上で、イエス安息日に会堂で教えられました。(10節)本書でイエスが会堂に入られるのはこれが最後です。最初に4章でナザレの会堂に立たれたときイエスは「捕らわれ人には解放を」(4:18)と宣言されました。そのことば通り、18年間病の霊につかれ、腰が曲がって、全く伸ばすことができない女の人を、イエスは「女の方、あなたは病から解放されました」と癒されます。(12節)

安息日に癒しを行ったことを会堂司が非難したのは、イエスの働きを神の業ではなく、人間の働きとみなしたからです。わざわざ安息日にする必要はないと考えたのです。彼らはしるしを見ながら「時代を見分けようとしない」(12:56)のです。しかし、イエスは言われます。「この人はアブラハムの娘です。…安息日に、この束縛を解いてやるべきではありませんか。」安息日とはイスラエルのエジプトからの解放を覚える日なのです(申5:15)。主はアブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでもお忘れになりません。(1:55)その主の民の解放の時がイエスの臨在によって訪れたのです。イエスは来たりつつある神の国の到来を、からし種とパン種に例えられます。今は見えないほど小さくはあるが、やがて空の鳥が住まうほどに、また13リットルの粉で大宴会のパンを用意するように、神の国は手のつけようのないほど大きくなり、イスラエルだけではなく世界中の人々を呼び寄せるようになるのです。(13:29)

◇クイズ

13:34ではエルサレムをあわれまれる神が何に例えられていますか?1.鳩 2.獅子 3.めんどり

日々の御言葉 12月12日

日々のみ言葉 12月12日

○今日のタイトル わたしの友

○通読箇所 ルカ12章

◇今日の聖句

小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。

◇ひとくち解説

11章前半で、イエスは弟子たちに「主の祈り」を教えられます。12章の弟子たちとの対話は、その祈りの意味を補足し、その祈りを生きるとはどういうことなのかを教えています。

エスが弟子たちに、心配しなくて良いと言われるのは、彼らに何の苦難も及ばないからではありません。やがて人々は弟子たちを「会堂や役人たち、権力者たちのところに連れて行」き尋問し、迫害し、ある者は殺されるでしょう。その前提の上でイエスは弟子たちを「わたしの友」と呼ばれます。ローマの政治において「皇帝の友」という称号は、皇帝に忠誠を誓い、そのゆえに皇帝の絶大な庇護を受けるとりまきのことを言います。

エスの友であるということは、雀の一羽もお忘れにならず、髪の毛のすべてをご存じで、はかない草花にさえソロモンの栄華の装いを与えられる、慈しみ深い神の友となることを意味します。だから、「心配するのをやめ、気をもむのをやめなさい。」と言われるのです。イエスの友とは、目の前のことを心配するのではなく、イエスと共に「御国が来ますように」(11:2)と祈る仲間のことです。

御父と共に愛に満ちた羊飼いであられるイエスは、ご自分の群れである弟子たちを励まされます。「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」(32節)

◇クイズ

54-56節で、時代を見分けることが、天候を予測することに例えられます。西に雲が出ると?1.暑くなる 2.にわか雨 3.風が吹く

日々の御言葉 12月10日

日々のみ言葉 12月10日

○今日のタイトル 主の足もとに

○通読箇所 ルカ10章

◇今日の聖句

彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。

◇ひとくち解説

9:51からイエスエルサレムへの道が始まります。その途上で主は弟子たちを訓練されます。10章では72人の弟子たちが二人組で派遣されました。帰ってきた72人は喜びをもって御名の力を報告します。それを聞きながらイエスが見ておられるのは目先の成功ではありません。「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。」弟子たちの働きは、やがて訪れる悪魔に対する完全な主の勝利のプロセスなのです。イエスは弟子たちに、華々しい結果を喜ぶのではなく「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(20)と勧められます。その喜びとは御父と御子の交わりを知り、そこに身を置くことです。(22)そここそは宣教者の喜びの源泉です。幼子のように低くする者だけがそこにとどまることができます。(前章で弟子たちはだれが一番偉いかという議論に夢中でした)

宣教者はただ正論を唱えるだけでは十分ではありません。そのことが続く「よきサマリア人」のたとえで教えられます。敵する者にさえ良き隣人であること行いをもって示すことを求められたのです。(前章で弟子たちは敵対するサマリア人に憤慨していました)

宣教者の愛の力の源はイエスにあります。マルタとマリアの逸話はそのことを示しています。「主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。」みことばを語る者は、ここからはじめるのです。(前章で弟子たちは山上でイエスの栄光を見ながら眠気をもよおしました)

◇クイズ

10:2でイエスは宣教を何に例えておられますか?1.耕作 2.種蒔き 3.収穫

日々の御言葉 12月5日

日々のみ言葉 12月5日

○今日のタイトル ついて来なさい

○通読箇所 ルカ5章

◇今日の聖句

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」

◇ひとくち解説

貧しい人を解放し、自由にする良い知らせが告げ知らされていきます。貧しい人とは、ただ経済的に困窮している人々だけではありません。社会における弱者、また疎外され、軽蔑されている人々のことです。

エスは、ツァラアトに冒された人に手を伸ばしてさわり、清くされました。中風をわずらっている人の罪を赦し、立たせられました。

そのイエスが、「出て行き、収税所に座っているレビという取税人に目を留められ」ます。レビがイエスに目を留めたのではありません。イエスの方が、出て行って、注意深くレビを見つめられたのです。そして「わたしについて来なさい」と招かれます。

取税人は外国人と常に接触し、手先となって同胞から税を巻き上げ、利益を得ていたため、罪人とみなされていました。ちっぽけな収税所に閉じこもっていたレビに、主は新しい生き方をあたえ、解き放たれたのです。

レビは「すべてを捨てて立ち上がり」従いました。生活のよりどころを全て手放して、イエスと共にある新しい価値観に生きるようになったのです。赦された罪人の中風と同じ「立ち上がり」という語が使われているのが印象的です。

人々を苦しめる出納帳を記していたこのレビは、後にマタイ福音書を記すことになります。彼が得たものは、捨てたものよりもはるかに豊かなものでした。

◇クイズ

5:30で律法学者たちは、誰に向かって小声で文句を言いましたか?1.イエス 2.弟子たち 3.取税人

日々の御言葉 12月4日

日々のみ言葉 12月4日

○今日のタイトル 捕らわれ人には

○通読箇所 ルカ4章

◇今日の聖句

日が沈むと、様々な病で弱っている者をかかえている人たちがみな、病人たちをみもとに連れて来た。イエスは一人ひとりに手を置いて癒やされた。

◇ひとくち解説

ナザレの会堂でイエスの福音宣教は開始されます。「貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、…」(4:18)との預言通り、ガリラヤ地方を巡り歩かれます。

エスは人々を悪霊や病から解放される時、神に嘆願して祈られたのではありません。自らのことばとして悪霊に命じ、熱病を??りつけられました。そのことばには神の子としての権威がありました。人々は「このことばは何なのだろうか」と、イエスのことばに権威があることに驚きました。

悪霊たちはイエスの正体を知って「あなたこそ神の子です」と叫びました。

しかし、イエスを拒絶したナザレ村の人々も、イエスの能力に熱狂したカペナウムの人々も、イエスの御本質を本当には知りません。

エスが来られたのは、肉体的な解放を与えるためだけではなく、「神の国の福音を宣べ伝え」るためです。そのために次章で弟子たちを召し出されます。

ところで、「神の国を宣べ伝え」ることは、『使徒の働き』の最初1:3と最後28:31に置かれる重要主題です。ルカは、イエスの宣教が、そのまま使徒たちの宣教へと受け継がれたことを強調しているのです。

◇クイズ

今日はお休み

日々の御言葉 12月3日

日々のみ言葉 12月3日

○今日のタイトル わたしの愛する子

○通読箇所 ルカ3章

◇今日の聖句

すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

◇ひとくち解説

バプテスマのヨハネの活動が記されたのち、21節からイエスの公生涯がスタートします。

その始まりが「祈り」であったことは非常に重要です。天が開け、聖霊がイエスの上に降ってこられたのは、イエスバプテスマを受けられた時ではなく、祈っておられた時だと、ルカは示します。祈りの中で、聖霊の働きに全存在をお委ねになったイエスに対して、御父の声が響きます。「あなたはわたしの愛する子。」(22節)受胎告知では、ガブリエルがイエスを「いと高き方の子」「神の子」(1:32,35)と証言しましたが、今、聖霊と共に御父自らが、イエスを「神の子」と証されるのです。イエスは十字架で「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」と息を引き取られるまで、祈りの中で、聖霊の導きに支配され、御父のみこころと一つでした。この従順こそ神の子が神の子たるゆえんです。

その後に続く系図は、イエスの使命を暗示しています。マタイはアブラハムから時代を下るように系図を示しましたが、ルカは時代をさかのぼり、アダムまでの系図を示します。イエスは、ただ一民族のためだけに来られたのではなく、全人類の救いのために来られたのです。アダムの不従順のゆえに神の栄光を受けられなくなった人類を、従順によって、最後列から一人ずつ探し出し先頭に至るまで集めて、「神に至る」…それが神の子イエスの使命なのです。「アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。」(1コリント15:22)

◇クイズ

3:7でヨハネバプテスマを受けようとしてきた人々を何の子孫だと言いましたか?1.鳩 2.まむし 3.獅子

日々の御言葉 12月2日

日々のみ言葉 12月2日

○今日のタイトル 自分の父の家

○通読箇所 ルカ2章

◇今日の聖句

エスは両親に言われた。「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」

◇ひとくち解説

神殿の場面から始まったイエスの誕生物語は、神殿にてひとまず結ばれます。ここまで、御使いを通して、またマリア、ザカリヤ、羊飼い、シメオン、アンナなど敬虔な人々の態度を通して、イエスが神の子として世に来られたことが示されてきましたが、2章の最後において、12歳のイエス自らの口を通して、そのことが宣言されます。

過越の祭りの後、3日間イエスを見失った両親が、神のみことばを解き明かすイエスを再発見したこの物語は、エマオ途上の弟子たちと復活のイエスとの出会いを暗示しているようです。)

宮で教師たちの真ん中に座っているイエスを発見した時の両親の驚きは、イエスを見失ったときの驚きよりもはるかに大きかったことでしょう。「どうしてこんなことをしたのですか。」と狼狽するマリアに、イエスは言われます。「わたしが自分の父の家にいるのは当然である」…自分にはヨセフの子であることとは別に、「神の子」としての使命があると。「しかし両親には、…理解できなかった。」…ガブリエルから「生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます」と予告を受けたマリアでさえ、神の子の使命を理解することは困難でした。それは、やがてこの町で成し遂げられる十字架と復活を通して注がれる聖霊によって明らかにされるでしょう。本書はその喜びに包まれて閉じられます。「彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、いつも宮にいて神をほめたたえていた。」(24:52-53)

◇クイズ

2:36に登場するアンナはどこの部族の出身??1.レビ族 2.ユダ族 3.アシェル族