日々の御言葉

聖イエス会福音教会の牧師室から聖書のみ言葉をおおくりします。聖書は主に新改訳2017を使用しています。

日々の御言葉 4月3日

日々のみ言葉 4月3日

○今日のタイトル 命じられたとおり

○通読箇所 出エジプト39-40章

◇今日の聖句

モーセがすべての仕事を見ると、彼らは、見よ、主が命じられたとおりに行っていた。そこでモーセは彼らを祝福した。

◇ひとくち解説

39:1-31には祭司装束の完成が記されます。その間、「主がモーセに命じられたとおり」と7回繰り返されます。(1,5,7,21,26,29,31節)

幕屋設営と聖別の主のご命令をはさんで、今度は、17-32節に幕屋設営の記事が記されます。こちらも7回「主がモーセに命じられたとおり」と繰り返されます。(19,21,23,25,27,29,32節)これは、天地創造の七日を想起させます。すべてが主のご命令の通りに創造されたことと重ねられています。

また、<7回の従順>の真ん中の、「モーセがすべての仕事を見ると、彼らは、見よ、主が命じられたとおりに行っていた。そこでモーセは彼らを祝福した。」(39:43)という言い回しも、天地創造の最後にある、「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。」(創世記1:31)という表現と重なります。

幕屋は、神が人と共に住まわれるエデンの園を象徴しているのです。それは人の願いである前に、「わたしはある」と名乗られる神の切望です。また「必ず顧みる」という約束の見えるしるしです。(3:14、16)

幕屋完成は一年の最初の日(第一の月の一日)です。ここから、人類をエデンの園に連れ帰る新たな旅が始まって行きます。

その長い旅路のゴールを、ヨハネは見ます。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」(黙示録21:3)その到来を望みつつ、私たちは今日も祈ります。「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」(マタイ6:10)

◇クイズ

40:34で、完成した幕屋に、主の栄光は何をもってあらわれましたか? 1.雲 2.火 3.風

日々の御言葉 4月2日

日々のみ言葉 4月2日

○今日のタイトル 幕屋建設

○通読箇所 出エジプト37-38章

◇今日の聖句

ウリの子ベツァルエルは、主がモーセに命じられたことをことごとく行った。

◇ひとくち解説

25-31章で示された幕屋に関する主の指示が、35-39章で実行に移されます。「命じられたことをことごとく行った。」のひとことだけで済ますこともできそうですが、もう一度、寸法や材料などが詳しく記述されています。このことによって、主のことばが寸分たがわず忠実に実行されたことが強調されているのです。

この事業の監督者ベツァルエルは、主が名指しで選ばれ、神の霊に満たされた人物でした。彼は知恵と英知を主に授けられていましたが、その知恵とは、自己実現のためのものではなく、主のなさりたいことを悟り、行うための知恵でした。

ベツァルエルという名前は、神の陰の中にという意味です。影が実体の輪郭を正確にかたどるように、彼は、主のみことばを正確に形にしていきました。そうすることによって神の天地創造の業に連なったのです。

それはまた、「みこころが天で行われるように、地でも行われますように」と日々祈る、私たちのあるべき姿でもあります。

◇クイズ

38:8によると、青銅の洗盤は、女たちが捧げた何によって作られましたか? 1.鍋 2.耳輪 3.鏡

日々の御言葉 4月1日

日々のみ言葉 4月1日

○今日のタイトル 幕屋建設準備

○通読箇所 出エジプト35-36章

◇今日の聖句

イスラエルの子らは男も女もみな、主がモーセを通して行うように命じられたすべての仕事のために、心から進んで献げたのであり、それを進んで献げるものとして主に持って来た。

◇ひとくち解説

35-39章は、25-31章に支持されていた幕屋の建設の実行の記事です。

35-36章だけで「仕事」という語が、19回も使用されているのは興味深いことです。この語が聖書で最初に登場するのは創世記2:2で、神の天地創造のわざを指す言葉として用いられています。同じルーツを持つ語として<御使い・天使>があります。

そのことを思い起こさせるように、幕屋建設準備の記事は「六日間は仕事をする。しかし、七日目は、 あなたがたにとって主の聖なる全き安息である」と始まるのです。主が住まわれる幕屋はエデンの園の模型であり、幕屋を建設することは、神の天地創造のわざへの招きなのです。同時に、有限の人間にとって、時間を聖別することは、いのちを聖別することであり、主への愛の証でした。

それに続いて、主への奉納物・心に知恵のある者の奉仕が呼びかけられます。21-29節では、「心を動かされた者、霊に促しを受けた者」という表現が繰り返され、民が心から進んで献げたことが強調されています。

「あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:22)神の御住まい建設のために、自らの「仕事」を、「神の霊を満たされ」(35:31)つつ成し遂げたいものです。

◇クイズ

主の知恵に満たされ建設を指導した2人のうち、オホリアブは何族出身? 1.ユダ族 2.ダン族 3.エフライム族

日々の御言葉 3月29日

日々のみ言葉 3月29日

○今日のタイトル ユダヤ人の王

○通読箇所 ルカ23:26-43

◇今日の聖句

エスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

◇ひとくち解説

十字架には「これはユダヤ人の王」と書いた札が掲げてありました。ユダヤ人議員たちは「神のキリストで、選ばれた者なら」と言い、ローマ人兵士たちは「おまえがユダヤ人の王なら」言い、果ては十字架にかけられていた犯罪人までもが「おまえはキリストではないか」と言って嘲笑しました。公生涯の冒頭で、悪魔が「あなたが神の子なら」と、地上的な栄光をもって3度イエスを試みた姿と重なります。

そのような中で、もう一人の犯罪人だけが、イエスを真の<ユダヤ人の王>キリストと認めました。それは神への恐れから始まりました。アダムとエバが恐れて隠れたようにではなく、すべてをさらけ出し、恵みに依り頼んで恐れたのです。

続いて「あなたが御国に入られるときには」(王の力の中に入るとき)と言います。無力の極みとしか見えない十字架のイエスのうちに王の権威を認めたのです。

「私を思い出してください」…創世記8章では、神が箱舟のノアを「覚えておられた」ことから救いが始まりました。神の御心に留められることは、救いの始まりを意味します。

このように言い表した犯罪人に、イエスもまた、王としての権威をもって答えられます。「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」ギリシャ語訳聖書では「パラダイス」はエデンの園の訳語として用いられます。主はこの犯罪人に、エデンの神との交わりの回復を約束されます。3章のイエス系図が「アダム、そして神に至る」と暗示したように、イエスによって、神に至る主の道が開かれたのです。

◇クイズ

23:26でイエスの十字架を運んだシモンは、どこの人ですか? 1.クレネ人 2.クレタ人 3.キプロス

日々の御言葉 3月28日

日々のみ言葉 3月28日

○今日のタイトル 祈っていなさい

○通読箇所 ルカ22:39-53

◇今日の聖句

父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。

◇ひとくち解説

「いつものように」「いつもの場所に」と、ルカはオリーブ山での祈りを、あくまでイエスのこれまでの歩みの延長として描きます。他の福音書のように、ペテロ・ヤコブヨハネの3人だけに特別にご自分の祈りを見せたことを記さないのは、すべての弟子が見るべきこととして強調するためです。

エスはまず「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。」と祈られます。33節で「牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております」と豪語したペテロと対照的です。本当の強さは、神の御前に自分の弱さを隠さない謙遜から生まれるのです。

「しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」これがイエスの生涯を貫く<いつもの祈り>であり、弟子が倣うべき祈りです。それは「なるようにしかならない」というあきらめではなく、勇気をもって信頼の中で自分を明け渡すことです。

「祈り終わって立ち上がり」は、直訳すると「祈りから立ち上がり」です。悲しみの中にとどまった弟子たちは眠り込み、祈りの中にとどまったイエスはそこから立ち上がられます。「暗闇の力」(53節)の中にあって、立ち上がる力は祈りの中にあるのです。

◇クイズ

22:50-51でイエスは、大祭司のしもべのどこを癒されましたか? 1.左の耳 2.右の耳 3.左の肩

日々の御言葉 3月27日

日々のみ言葉 3月27日

○今日のタイトル 新しい契約

○通読箇所 ルカ22:7-23

◇今日の聖句

この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。

◇ひとくち解説

他の福音書では弟子たちの質問から始まりますが、ルカは、イエスの言葉「過越の食事ができるように、行って用意をしなさい」から始まります。「あなたがたと一緒にこの過越の食事をすることを、切に願っていました」というイエスのことばと合わせて、それが人間の都合ではなく、主の必要であったことが強調されています。この食事は十字架の死が、過去・現在・未来をつなげる「新しい契約」であることを象徴的にあらわすものです。

【過去と現在】…過越祭とは出エジプトの救いを記念する祭りです。そこで流された子羊の血によって、民は死の災いからまぬがれ、奴隷状態から解放されました。犠牲の子羊とご自分とを重ねながら「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です」と宣言されます。

【現在と未来】…キリストの十字架の贖いを受けたすべての人に(放蕩息子にも!)神の国の食卓が解放されます。「人々が東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。」(13:29)この食事は、やがて「わたしの国でわたしの食卓に着いて食べたり飲んだり」する(22:30)<子羊の婚宴>(黙示録19:9)の希望を表しています。

「わたしを覚えて、これを行いなさい」というご命令は、聖餐式を行いなさいという意味にとどまりません。キリストと苦難の杯を共にしながら、キリストの死と復活に一致し、キリストのように生きることへの召命です。

◇クイズ

この過越の食事は、建物の何階でとられましたか?1.1階 2.2階 3.地下1階

日々の御言葉 3月26日

日々のみ言葉 3月26日

○今日のタイトル 目を覚まして

○通読箇所 ルカ21:29-38

◇今日の聖句

あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。

◇ひとくち解説

エルサレム神殿の美しさに心を奪われている人々に対して「どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることのない日が、やって来ます」(21:6)とイエスは予告されます。直接的には紀元70年のローマによるエルサレム攻撃を指します(19:44)。しかし、イエスはそれだけではなく、やがてご自分が「要の石」(20:17)となって完成される、新しい「祈りの家」(19:46)をも見ておられました。「そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。」(21:27)

大切なことは「神の国が近いことを知り」(31節)「いつも目を覚まして祈って」(36節)いることです。

<待つ>ということは、待つ者と待たれる者の間、また今と未来の間に、切れない信仰・希望・愛の糸があるということです。待つことは相手への信頼によってなりたっています。信頼なしに待っていると「心が…思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように」(34節)感じるでしょう。待っている自分自身ではなく、待っている相手…人の子…に心を向けるようイエスは教えられます。変化する時代や世界、消え去っていく天地ではなく、けっして消え去ることのない主イエスのことばの中に自分を置く人は幸いです。いつも目を覚まして祈るとは、自分の願望から、神の計画へと絶え間なく自分を移すことです。その模範的な姿を、次章のイエスの祈りの姿に見ることができます。

◇クイズ

21:38によると人々はいつイエスの教えを聞くために来ましたか?1.朝早く 2.夕ぐれ 3.夜