日々のみ言葉 1月31日
○今日のタイトル 十字架を負って
○通読箇所 マタイ16章
◇今日の聖句
だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
◇ひとくち解説
14章でイエスは5つのパンと2匹の魚をもって5千人以上のユダヤ人たちに食べさせました。15章ではツロとシドンで4千人以上の異邦人を養われました。
その姿は荒野でのモーセに重なりましたので、イエスがメシアであるとの人々の期待が高まりました。しかしそれは地上の必要を満たし、異国の支配からの解放するという期待でしかありませんでした。16章の最初で、パリサイ人たちやサドカイ人たちが天からのしるしを見せてほしいと、目に見えるメシアの証拠を求めたのです。これは4章でイエスにしるしを行うよう誘惑した悪魔の姿と重なります。
そのような中で、イエスは弟子たちをピリポ・カイサリアへと連れて行かれました。この地はかつてはバアル礼拝・ギリシャ神パン礼拝、今はローマ皇帝礼拝の中心地でした。この<死ねる神々>の地で、ペテロは、イエスを<生ける神の子>と告白しました。その信仰は、肉の父(バルヨナはヨナの息子という意味)に由来するものではなく、天の父から与えられたものです。その御父由来の信仰のゆえに、イエスは彼に天の御国の鍵を与えられます。やがて彼は、エルサレムに(使徒2章)、サマリアに(同8章)、異邦人世界に(同10章)、天の御国の扉を開いていくでしょう。
しかし、今はペテロも、パリサイ人たちやサドカイ人、そしてサタンと同様、目に見えるしるしに捕われ、イエスが苦難の僕として民をその罪から救う者であることは理解していません。
ペテロが御国の扉を開いていくのは、十字架を負ってイエスに従い始めてからなのです。
◇クイズ
今日はお休み