日々のみ言葉 10月24日
○今日のタイトル からだという神殿
○通読箇所 ヨハネ2章
◇今日の聖句
しかし、イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった。
◇ひとくち解説
ヨハネ福音書では、2章ではじめてイエスがエルサレムに行かれる記事が出てきます。2章と6章と19章の過越祭でのできごとが、この福音書の骨格です。それは、イエスキリストが「世の罪を取り除く神の子羊」(1:29)であることを指し示しています。
イエスがむちを作ってまで、商売人や両替人を追い出されたのは、彼らが道徳的に腐敗していたからではありません。それらは、遠くから神殿に来た礼拝者にとって、親切なシステムでした。イエスがそれらを追い出された行為は、もはや羊も両替も必要となくなるという<宣言>でした。動物のいけにえではなく自らの命を捧げ、金ではなく自分の体を代価として支払い、人類の贖いを完成されるのです。御父は、御子以外にいけにえを受け付けられず、御子を通してしか人類との交わりを回復されません。イエスは「わたしの父の家」がはたすべき「神との出会い」の機能を回復しようと宮を清められたのです。これに対してユダヤ人たちはしるしを求めました。イエスはお答えになります。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」…やがてイエスのおからだが、十字架の上で破壊され、三日目によみがえらされます。そのとき、神である<ことば>が「私たちの間に住まわれ」(1:14)る救いが完成されるのです。十字架と復活こそ、最後にして最大の<しるし>です。このしるしのゆえに、ヨハネが黙示録に見た新しい都には神殿がないのです。「全能の\xBF
世任△觴腓隼厖咾❶⊋圓凌静造世ǂ蕕任△襦▷廖別\xDB21:22)
◇クイズ