日々のみ言葉 10月24日
○今日のタイトル 本当に神の子
○通読箇所 マルコ15章
◇今日の聖句
イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。「この方は本当に神の子であった。」
◇ひとくち解説
マルコは、十字架のイエスのことばをたった一つ記録しました。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」です。それはイエスの悶絶でした。「ご自分が私たちのためにのろわれた者と」なることによる以外に(ガラテヤ3:13)、「贖いの代価」(マルコ10:45)を支払う方法はありませんでした。「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。」(2コリント5:21)マルコはイエスの犠牲=払われた代価の大きさを、極限まで表現するために、赦しの言葉でも、母をいたわる言葉でも、罪人に対する天国への招きでも、救いの完成の宣言でもなく、この苦しみの叫びのみを記したのです。
イエスが息を引き取られた時、全地を覆った闇(15:33)に光をもたらすかのように「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂け」ました(15:38)これは、本書の始め、ヨルダン川にて「天が裂けて」(1:10)御父が「あなたはわたしの愛する子」と御子を示されたことと対になっています。十字架においてついに、神に至る道が、「上から」(神の側から)開かれたのです。
その御父の照らしを受けて「この方は本当に神の子であった」(15:39)と応じたのが、律法学者という聖書の専門家でも、祭司という礼拝執行者でもなく、イエスに従った弟子達でもなく、十字架刑を執行した異邦人の百人隊長であったことは、読者に強い衝撃を与えます。しかも彼は、イエスの輝かしい奇跡を見てではなく、敗北者のように悲惨な姿で「息を引き取られたのを見て」イエスを神の子と認めたのです。ここに「神の子、イエス・キリストの福音」(1:1)があります。上からの光は、最も深い淵に輝いたのです。
◇クイズ
今日はお休み