日々のみ言葉 10月25日
○今日のタイトル よみがえられ
○通読箇所 マルコ16章
◇今日の聖句
あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です。
◇ひとくち解説
16章の9節以降は後代の加筆であることは、ほぼ確実です。8節で突然終わることに居心地の悪さを感じた写字生が、自分の知っている復活物語を書き足さずにはいられなかったのでしょう。
ではなぜマルコは、このように不自然とも言える歯切れの悪さで、福音書を閉じたのでしょう。
そこには、マグダラのマリア、エマオ途上の弟子たち、トマスと出会われたイエスの姿はありません。ガリラヤで弟子たちを待っておられたイエスも描かれません。そもそも復活されたキリストの姿さえ登場しないのです。
そこには青年(恐らく御使い)の証言のみがあります。「あの方はよみがえられました。」と。
女たちの反応はネガティブなものでした。彼女たちの期待とは違ったからです。「墓を出て、そこから逃げ去った。震え上がり、気も動転していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」
マルコがここで筆を留めたのは、ここから後の反応を、読者に委ねるためではないでしょうか。当時の読者たちは、迫害の中で震え、気が動転し、恐ろしいことが山積みでした。それなのに、肉体を持ったイエスはもう地上におられません。あとは「あの方はよみがえられました」というあの証言に信仰を置く…「見ないで信じる」しかなかったのです。マルコが結論を押し付けず、読者を突き放すのは、これを読む者が、自発的に「この方は本当に神の子であった」と、信仰をもってイエスを見上げるようになるためだと、思われてなりません。
◇クイズ
女性たちが香料を買ったのは何曜日?1.金曜 2.土曜 3.日曜